N先生と催眠術
私と自律訓練法との出会いは、中学2年生の時に見た、学習雑誌の記事がきっかけである。自意識と劣等感が強く、自分の性格に問題を感じながらも、どうしたらいいかわからずに悩んでいた私にとって、自分の努力で体と心をコントロールし、性格すらも改善していける方法は、夢のように思えた。私は短い記事を何百ぺんも読み、熱心に練習した。
私と自律訓練法との出会いは、中学2年生の時に見た、学習雑誌の記事がきっかけである。自意識と劣等感が強く、自分の性格に問題を感じながらも、どうしたらいいかわからずに悩んでいた私にとって、自分の努力で体と心をコントロールし、性格すらも改善していける方法は、夢のように思えた。私は短い記事を何百ぺんも読み、熱心に練習した。
しかし、後から考えてみると、私が自律訓練法の効果をすぐに信じたのには、それ相応の理由が確かにあった。それは、中学1年の時に担任であったN先生の影響である。
40代のN先生は英語担当の男性教師である。天然パーマのもじゃもじゃ頭に黒縁のメガネをかけて、初対面では気むずかしげな印象を受けた。が、実際はとても気さくな人柄であった。瓢々として、物事にこだわらない。他の先生ならうるさく注意するいたずらも、本当に悪いこと以外、実に寛容だった。
たとえば、だるまストーブを焚く季節に、生徒たちが給食の食パンを先割れスプーンに刺し、ストーブの前にかざしてトーストにするのが流行った。そんなとき、N先生は「お、うまそうだな、俺もやってみよう」と、生徒と一緒になって、真っ赤に焼けた鋳物のストーブの前にしゃがみ、自分も顔を真っ赤にしてパンを焼くのだった。
2年になって、同じことをしたとき、新しい担任教師は、「危険だからやめなさい!」と叱りつけた。その時初めて、N先生のあの振る舞いは希有なものであったと気がついた。
道徳の時間には、よけいな説教はいっさい抜きで、毎回、小説を朗読してくれた。吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」。戦前の中学生コペル君が身近な友人の問題などに悩みながら、同時に人間や社会についての考えを深めていく物語。先生の朗読に耳を傾けるうち、私たちは同年齢の主人公に同化し、いつしか一緒に悩み、考え始める。多くのことばを費やすよりも、生徒が自ら考えることを促す、最高の道徳教育であった。
しかし、N先生は本気で怒ると恐かった。生徒たちが、おとなしい女の先生をなめて授業中の騒ぎがエスカレートしたときなど、ふだんは柔和な顔が般若のような形相になって、教室の後ろの生徒まで縮みあがるような大声で怒鳴った。弱い者いじめや裏表のある卑劣な行為は、絶対に許さなかった。大声だけではもどかしいとばかり、手近な石炭シャベルを振り回して、教卓をガンガンたたいた。それでも、生徒の体には指一本触れない。だが、生徒に反省を促す力は、体罰を使う教師よりもはるかに上だった。
N先生は、生徒の心理を非常によく心得ていた。と同時に、自分の気持ちを隠すことなく、ありのままで私たちに対してくれた。今にして思えば、ロジャース流の「自己一致」した人物であり、生徒の潜在能力が自発的に開花する道筋をはっきりと見抜いていた。おそらくは、人間心理について深く学び、自らも研讃を積んだ人だったのだろうと思う。
私がそう推測する理由は、N先生が「催眠術」をやる人だったからである。N先生の催眠術は有名で、遠足の前などには、車酔いする生徒を家庭科室に集めて催眠術をかけた。私が友人と窓から覗いてみると、メトロノームを鳴らして催眠誘導し、「さあ、あなたはバスに乗っています。だんだん揺れが大きくなってきますよ……」などとやっていた。
また、学年朝礼で生徒たちに目を閉じさせ、簡単な瞑想の方法を教えてくれた。それは、とても不思議で快適な体験であった。
当時の私に催眠や瞑想の知識はなかったが、N先生の尊敬すべき人柄と、そうした催眠術や瞑想という方法との結びつきを、漠然と感じていた。
2年生になった私が「自己催眠術」として紹介されていた自律訓練法に惹かれ、それをしつこく実践しようとしたのは、今にして思えば、そうした下地があったからだと思う。
あれから既に四半世紀。教師になった私は、生徒にどう対したらいいかと悩むとき、いつの間にかN先生の顔を思い浮かべていることに気づく。
1996年8月