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キャンパス行状記④公開カウンセリング

執筆者の写真: 教育エジソン教育エジソン

 心理療法演習のF教授は、12月の授業で、「公開カウンセリングのクライエントを募集します」と言った。カウンセリングの実際を見たいという学生の要望を受けて、授業の中で実演をするという。私はすぐに立候補した。

 夏に妻と別れ、3歳の息子を連れて両親宅に身を寄せた。しかし、日が経つにつれて、妻の態度には、変化が見えた。自分から別れを言いだした妻ではあったが、結局は切実に私を必要としている。それを知って、とくに10月から11月にかけて、私は悩んでいた。もう一度やり直す方がいいのではないか、と。今、妻を説得し、元に戻れば、幼い子どもの記憶には残らずに済む。しかし、今無理をして戻っても、さらに困難な問題を抱え込むことは目に見えている……。

 そんなとき、考えを整理するために、気持ちを的確に聴いてくれるカウンセラーが欲しいと切実に思い、F先生の顔が浮かんでいた。しかし、実際には誰にも相談することなく、一人で考え続けて、私は一つの結論を出していた。だが、その結論を実行して行くには、私自身が、もっともっと強くなければいけない。そのために、さらに自分を見つめたい。それがクライエント志願の動機であった。

 年が明け、公開カウンセリングは始まった。面接は4回。毎回、授業の前半、教壇でカウンセリングを実施し、後半、学生によるシェアリング(分かち合い)を行なう。相談テーマについて、事前打ち合わせはまったくない。私が単刀直入に本題に入ったので、福島先生も初めは戸惑われたらしい。が、すぐに私の思いを汲んで、しっかりと聴く姿勢になった。

 しかし、まもなく私は、もどかしさを感じ始める。私には、現在までの妻との経緯を踏まえて、一つの決心がある。そして、さらに先へ進むために、話し、考えたいと思っている。しかし、いきなりその次元に行こうとしても、カウンセラーはついて来られない。F先生は、わからないことはわからないと率直に言う。私は立ち止まり、記憶をたどり、ことばを探す。わかってもらうために。

 第1回の面接を終えて、私は考えた。時間は限られている。先へ進もうと焦るよりも、今まで人にはあまり話さずにきた過去を、ここで話し、整理し、もう一度見つめ直すことができれば、それでいいのではないか、と。

そう割り切ると、2回目の面接は、楽な気持ちで話すことができた。F先生は、とても温かく聞いてくださった。学生は20人余りで、若い女性が多かったが、後のシェアリングでは、やはり同世代の教員派遣仲間のことばが、共感的に聞こえて嬉しかった。

 そして、3回目……。語り始めれば切りはない。しかし、F先生にわかってもらおう、と思う限りにおいて、何を語るべきかは、自ずと整理がついてくる。そして、最後の4回目に至って、ようやく私は、悩んでいた昨年秋の時点までたどり着いた。

 妻とまたやり直すべきか、数週間悩み続けた私の頭にふと、一つの道が浮かび、目の前の霧がすっと晴れる気がした。結婚だけがつながりではない。私はこれからも妻を愛し、妻の精神的な支えであり続ける。そして、子どもも、妻にはたびたび会わせて育てる。そうすれば、一緒に住んでいなくとも「自分にはお母さんがいる」と思えるではないか。

 その決意を話したとき、F先生は「一番の選択だね」と、嬉しそうに手を握ってくださった。そして、みんなの方を振り返って、シェアリングを求めた。その時初めて私は、自分に注がれる視線をまぶしいと感じた。

 今回のカウンセリングは、結局、すでに自分で出していた結論までの道をたどり直すことに終始した。それは、私が今まで身につけてきた自己コントロールや問題解決の方法が、自分に対するカウンセリングとして有効に働いていることの証しといえるかもしれない。しかし、そこに至る思いを聴き、理解し、サポートしてくれるカウンセラーと仲間の存在は、確かに勇気を与えてくれた。

 自立と自己責任を基本としつつ、「共に生きる」ことの意味は、そこにあると思う。

1998年3月

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