教え子による癒し
1年後もとの学校に戻るかどうかは不明だが、同じ職場にもう11年勤めてきて、そろそろ潮時だとは思っている。
この学校で、一年生から持上がりの担任で卒業生を2回送り出した。2回とも、私が努力すればしただけ応えてくれる、すばらしい生徒たちだった。個性派ぞろいで、普段はバラバラに見えて、いざとなるとものすごいチームワークを発揮する。授業も、文化祭も、修学旅行も、私は楽しくて仕方がなかった。
最初の学年を卒業させた時に、こんな生徒たちとはもう出会えないだろうと思っていたら、2回目はまたそれ以上だった。私は生徒に恵まれている、とつくづく思う。
2回目の生徒たちを昨年の春に送り出し、この1年は、転勤者の後を受けて、新4年生のクラスを担任した。彼らとの関係は良好で、可もなく不可もない担任生活だったが、学校そのものには、居心地の悪さを感じることが少なくなかった。
たとえば、私には思い入れの深い文化祭について、教師の努力で生徒のやる気を引き出そうとするより、無気力を是認して文化祭を縮小していこうとする雰囲気が、職員会議でも支配的だった。私の発言は空回りするばかりで、味方がいないと感じていた。
また、3年生には私のことをいわれなく嫌う生徒がいて、ことあるごとに嫌みを言ったり、からんできたりした。理由を聞いてもまともに答えないし、思い当たる点もないので、私はずっと相手にしないでいたが、心はそのつど傷ついていた。3学期になって、担任、教頭の立会いで話し合いの場を設けたがまったく一方的な相手の罵倒に耐えきれず、私も怒鳴り返して席を立った。
他者へのマイナスの態度は怖れゆえであり、互いの防衛する心が人間関係の悪循環を招く。そう悟って自分から自己防衛をやめ、進んで心を開いていく。そのために瞑想を活用する。それが11年前の私の決意だった。
しかし、今その信念は、ことばとして語ることはできても、行動や実感とは微妙にずれている。毎朝坐ることは習慣として続けているが、瞑想状態にはいることすら難しい日が多くなってしまった。焦って求めれば逃げていくものとわかっていながら、かつての深い瞑想体験を得られないつらさに苦しむ。どこかで何かが食い違って、ここまで来てしまった。しかし、どこをどう修正すればいいのかわからない。
そんなおり、昨年の卒業生の一人と会ってゆっくり話し合う機会を得た。文化祭に人一倍熱心に取り組んだ生徒で、「先生やみんなと出会って、文化祭の劇をできたことはかけがえのない体験でした」と述懐する彼との語らいは、至福の時間だった。
疲れた教師の心を癒すのは、かつて自分が真剣に関わった生徒の、そうした一言である。
1997年4月