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キャンパス行状記②瞑想とフォーカシング

執筆者の写真: 教育エジソン教育エジソン

 「相談心理学演習」という科目で、自主レポート課題の文献リストの中に、『フォーカシング』 (E.T.ジェンドリン)があった。以前からフォーカシングには興味があり、この本は読んでいたので、私は最初のレポート文献としてこれを選んだ。ざっと読み返してまとめようと思ったら、引き込まれて、またじっくりと読むことになってしまった。しかし、以前読んだときから、フォーカシングの論理はよくわかり、その原理に深い共感さえ覚えるものの、実際にやってみると、一度もうまくできた試しがない。「フェルトセンス」はわかる気もするが、明瞭な「フェルトシフト」は起こらない。わかるのにできない。何とももどかしいが気になる存在、それが私にとってのフォーカシングなのであった。

 しばらく前から朝の瞑想が前ほどはうまくいかない、ということを何度か書いてきた。深い瞑想には、体験しなければわからない独特の心地よさがある。うまく行くときは、全身の重温感が強く出て心がシーンと静まり、イメージが鮮やかに浮かんで、いつまでもそこにとどまっていたくなる。うまく行かないときは、重温感が弱く、雑念があれこれ浮かんで尻が落ちつかず、すぐにやめたくなる。

 本を読み返しながら、毎朝の瞑想の中でフォーカシングを応用してみると、いつしか瞑想は深くなり、以前のような、この上ない心地よさを取り戻せた、と感じるときがあった。フォーカシングの方法は、私が最近忘れがちであった瞑想的な心の持ち方の、ある重要な面を、思い出させてくれるようである。

 たとえば、私が導入に使う「イメージ指圧」で、あるツボをイメージで指圧するというとき、うまくいかなくて焦れば焦るほど、いつしか、自分が自分の外からツボを押そうと努力する面が多くなって、押されている自分がどう感じるかという、受けとる側の意識が少なくなっていたようである。フォーカシングを応用して、体の中にどんな感じがあるかを味わっていくと、いつしか目的の反応(ツボが押され、温かく、緩む感じ)が向こうからやってきているのに気づく。それがフ

ェルトシフトなのであろうか。

 自律訓練法がうまくできない人にも、この方法は有効だと思われる。たとえば「ウデガオモイ」と唱えて、実際に腕が重くなるのを信じで待つ。その「受動的注意集中」と言われる姿勢が、初心者には難しい。しかし、フォーカシングなら、腕の内部の感覚に注意を集中し、微妙な変化を味わおうとすることによって、もっと能動的に反応を待ち受けることができる。フォーカシングは、いわぱ能動的「受動的注意集中」なのではなかろうか。

 残念なことに、瞑想の深さは本を読み返していた4日間がピークで、レポートを書き終えたら、もうなかなかそこには戻れない。不思議なようだが、これはよくあることで、次々と本を読みあさる理由の一つでもある。

1997年

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