洗脳授業の危険性?
『洗脳体験』(二澤雅喜 島田裕已著 宝島社)という本には、心理学を応用して新しい自分になるというふれこみの「自己開発セミナー」での体験が生々しく書かれている。
さまざまなアプローチで今までの価値観に揺さぶりをかけられ、思いもかけない感情を体験して、数日の集中セミナーの最後には、一人残らず感涙を流すという。そして、次の参加者を勧誘するカルトとなっていく。
洗脳、マインドコントロールということばも、さきの教団が有名にしたものだが、報道されている監禁や薬物投与などは、洗脳の手口としては単純な方に属する。自分の考えで行動しているつもりが、いつしか主体性を奪われていくのが本当の意味の洗脳であろう。
私も、心理療法のワークショップ(体験講習)や社会人の話し方教室に参加して、ふだんでは得られないような自己の開放感や、伸間との一体感を体験したことが何度かある。
が、それらの体験は、自分の生き方を見直し、よりよく生きるために有益であった。
10年ほど前から、私が定時制の国語授業の中で、表現学習の一貫として「話し方」の授業をやってきたのは、そうした体験がきっかけになっている。
一見白けているように見える当世の高校生を、1人ずつ前に立たせてスピーチをさせるには、人間心裡に逆らわないこつがある。
たとえば、初めは前に立ってあいさつだけさせる。その代わり、聞き手の生徒たちには彼に惜しみない拍手を送らせる。私は、姿勢でも声でも服装のセンスでも、とにかくいいところを見つけてほめまくる。そのうちいい気になって話し出す生徒がでてくれば、教室の雰囲気は大きく変わってくる。
あるいは、初めはことば遊びのようなゲームでとにかく声を出させ、互いに関わり合わせて、最終的にスピーチに持っていくとか、初めはできないと思っていたことが、結果としてできてしまう仕掛けを作る。そのために私は毎回知恵を絞り、心身をベストコンディションにして授業に臨む。
話せない、話したくないと思っていたものが、思いがけなく話せてしまった。今まで気づかなかった新しい自分が出てきた。それをきっかけに、他人とコミュニケートする意欲と自信を持ってもらいたい。それが私のねらいだが、そこを忘れると、生徒を実験材料にし、マインドコントロールとなることの危険がないとは言えない。
強烈な心理的効果を持つ授業であればこそ生徒の側には、その授業から主体的に意味をつかみ取り、自分の生き方に生かしていくという、批判力を含めた自我の強さが必要だ。幼い子どもはもとより、今時の高校生にも、それだけの自我の強さを期待するのは、甘いかもしれない。
催眠などの心理学的な手法を学校現場に導入することの難しさが、そこにある。
1995年7月