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執筆者の写真教育エジソン

わが親愛なる同輩校長


 M高校の校長として4年間務めたT先生が、この4月に転任した。同い年であり、志を同じくして共に困難を乗り越え、力を合わせて学校を作ってきた同志である。私が心から敬愛し、信頼している人だ。

 いつも飄々として冗談ばかり言っている。生徒に「校長先生、調子はどうですか?」と問わせ、「絶コーチョー(校長)です」と答える。

 校長室の前にたくさんの飾り物を並べ、ドアには暖簾と提灯をつるして、「寄ってらっしゃい」の幟旗。昼休みにはドアを開けて、「校長とランチをしよう」と、生徒を招く。

 書道の心得があり、終業式始業式のたびに講話のキーワードを模造紙に筆で大書し、見せながら話す。具体的でわかりやすく、生徒を勇気づける。その紙を校長室周辺の廊下に貼り出し、常時メッセージを発信する。

 殺風景だった1階の廊下は、校長室の飾りと掲示物、やがて校長の「1階美術館構想」で集めた生徒作品で埋め尽くされ、色とりどりの楽しい展覧会場となった。

菅野純著『教師の心のスイッチ』に、管理職のカウンセリング的役割として、「校長室を風通しの良いものにする」とあったが、それを実現し、さらに超えている。

 学校経営上では「見える化」を推奨し、さまざまな形で各自の業務を見える形にし、互いに認め合い、協力し合い、引継ぎと改善をしやすくした。そのおかげで、開校以来、各個人が闇雲にやっていた仕事が共有され、整理され、改善されていくサイクルができた。

 副校長や各部署の主任に仕事を預け、「システム経営=丸投げだ」と冗談のように言っていたが、信頼して仕事を任せ、励ます関わり方が、確かに人を動かす経営の極意である。職員の特性を見抜いて、適材適所の配置をし、力を遺憾なく発揮させる。私のコーピングやキャリア教育の開発についても、全面的に理解し、応援してくれた。それらの仕事に私が精一杯打ち込むことができたのは、まさに、T校長の「システム経営」のおかげである。

 日本教育新聞の連載など、対外的にも私が力を発揮できる場をずいぶんと作ってくれた。また、私に研修会講師の依頼が入ると、「エジソン先生はお忙しい方だから」ともったいをつけ、安売りをしない。それに応えて、私もいい研修会をしようと、さらに力が発揮できる。人を育てる術を心得た、根っからの教育者であり学校経営者だと思う。

 M高校は、基本的には穏やかな学校だが、私が主任を務める年次では、1年目、2年目と暴力や脅しの事件がいくつか起こり、退学勧告をせざるを得ない場面や、執拗な保護者のクレームに対応しなければならないことも何度かあった。

 そうしたとき、T校長は、相手の言い分をじっくり聞くが、言うべきこともはっきりと言う。相手の出方を見ながら、柔軟な、しかしブレのない姿勢で対処していく。そうした結果、いつも最悪の結末は避けられ、事態は解決の方向に進んだ。「変に逃げないで対峙すれば、何とかなっていくものだ」。いくつかの修羅場をくぐって、校長はそう言い切った。

 多くはなかったが、2人で飲みに行き、大いに語り合った後、駅のホームで上りと下りの電車に別れるとき、先に乗り込んだ私に手を振り、最後まで笑顔で見送ってくれる。目の前の相手を心から大事にする人である。

 後任の校長は、少し年齢が上で、温厚な、校長らしい落ち着きのある人である。派手さはないが、T校長の飲み友達で、本校のよき理解者である。まず今までのM高校の歴史を学び、先生方の取組みの意味を理解して、それを発展させていこうという姿勢を打ち出している。それが何よりありがたい。T先生の恩に報いるためにも、新校長を信頼し、さらに学校の発展に尽くしたい。

 T校長自身は、農業が専門だが、古巣の農業科の伝統校に異動となった。ホームグラウンドで、さらにT先生らしく、絶コーチョーで良い仕事をしてくれることと思う。

2013年5月

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