高校時代の勉強法
全日制の高校で教えるようになって、とくに受験を控えた3年生の授業を担当するときに、自分の高校時代の勉強法をあれこれ思い出し、生徒に語ることも多くなった。
文学の修業を志し、文学部へ進みたいと志望のはっきりしていた私は、2年の3学期から、本格的な受験勉強を始めた。
毎朝4時に起きて3時間机に向かう。8時前に登校して教室で30分自習し、放課後は図書室で2時間勉強する。夜は9時に寝るが、その前に1時間、英単語の暗記をする。学習した後は寝てしまうのが記憶の定着に最良だという心理学の理論を読んで、実行していたのだ。
そうして夜は7時間眠り、日曜は完全な休日として空けておく。予備校には模試以外一切行かず、国語と英語で通信教育を受講したほかは、高校の授業と参考書を活用した受験勉強だった。
当時も3年になると予備校に通う生徒は少なくなく、高校の授業を馬鹿にして内職をしたりしていた。しかし、こそこそ隠れてやったら、内職も授業もどちらも身になるはずがない。むしろ私は予習・復習を完璧にし、授業に全力を集中することで、そこから得られるものは最大限に吸収しようとした。授業中の余った時間も無駄にせず、教師の言うことは何でも即座に辞書で調べた。おかげで辞書を引くのが早くなったし、教師の間違いもたくさん見つけた。まるであら捜しをしているようで、ある教師には嫌われた。しかし、クラスの中で一番熱心に彼の授業を聴いていたのは、やはり私に違いなかった。
予習・復習の仕方で私が工夫したのは、その日の授業の復習をしたら、いっしょに次の授業の予習をしてしまうという方法である。予習は、復習に比べると時間もかかるし、とっつきにくい。しかし、学習内容は連続しているのだから、前の部分を復習した直後だと、次の部分を予習するのに、最適の頭の状態になっている。面倒な予習にも抵抗なく、すっとはいれる。結果として時間の節約になり、理解も深まる。次の授業の直前に、予習したノートをちょっと見直せば、授業準備は完了である。
およそ、勉強を効率的に進めるには、頭のエンジンのかかり具合を意識するとよい。覚えたことの復習から新しい学習内容へ、単純な作業から複雑な思考へ、得意科目から苦手科目へ……と。最初の学習で脳をウォーミングアップしてから、より困難な課題へと取り組んでいくのである。
勉強の合間にはボーっと外を眺めて、目の疲れを取るようにした。自律訓練法を不十分ながらも独習していたおかげで、リラックスの重要性を意識していた。毎晩9時に寝付くには、「腕が重い」の暗示が効果的であったことを覚えている。
気分転換には散歩に出かけた。一人でとりとめもないもの思いにふけりながら歩くのは、頭を休めるのにふさわしかった。
小説の創作は、願掛けの意味も込めて自分に禁じていたが、不定期に心境を綴っていた日記を、遊び半分に英語や古文、漢文で書くこともあった。そんなとき、知識を使いこなす楽しさを感じていた。
孤独で、偏った時期ではあったが、勉強法を工夫して、自分の力を試していくこと自体がおもしろく、充実した時間を過ごせた。志望大学に現役合格を果たせたことが、その後の自分の道を開いた。
教師になってふり返ってみると、自分はやはり、勉強のやり方を工夫するのが好きなのだなあと実感する。効果的な学習は、人間の心理的なメカニズムに即している。そうしたしくみを考えながら結果を予測し、やり方を考えていくと、思いがけずアイデアがひらめく。その瞬間が応えられない。だから、この仕事がやめられないのだが、そのルーツは、作家になりたくて大学を目指していた時代に、それとは知らず胚胎されていたのだ。そう考えると、感無量な思いもある。
2003.7.