top of page
執筆者の写真教育エジソン

歌うことの楽しみ(独りカラオケ)


 歌う、と言えば、中学時代の歌唱テストを思い出す。ピアノを弾く女性教員の横に1人立って、みんなの視線を感じながら、足はがたがた震えていた。音程に自信がなかった。

 高校の芸術選択で音楽を選んだのは、美術で下手な絵が形に残るよりはましという、消去法による選択に過ぎない。それでも、その当時流行っていたフォークソングを歌うために、小遣いを貯めて安物のギターを買ったこともある。当時、ひとり自宅で歌うのは楽しかったが、人前で歌ったことはない。教室で、ギターを囲んで歌う仲間の輪に入って、声を合わせるくらいが精一杯だった。歌うことを楽しいと思ったのは、その時期くらいだろうか。

 大学に入ったころから、カラオケが急速に普及した。スナックといえばカラオケだったし、学生コンパの会場にも、たいていカラオケ機があった。当時は、どちらかというと、中年サラリーマンのストレス解消法という印象で、学生同士で歌うことは少なかったが、アルバイト先では歌わされる機会があった。しかたなく1曲歌うが、その貧相さにまわりも困惑して、次からは敢えてご指名はかからなくなる。

 それは、就職してからも同じだった。カラオケ嫌いを公言して、なるべく辞退する。飲み会は大好きなので、喜んで出かけるが、カラオケがあると、とたんに場が苦痛になる。たいていの人は、マイクが回ってくればそつなくこなせる持ち歌を2曲や3曲は持っている。それが、私にはうらやましくてならなかった。

 そんな苦手意識をなんとか克服したいと思ったのは、4年前、休職派遣で1年間の大学院研修に行けると決まったときである。大学院では、年下の学生たちとも対等につき合って行きたい。カラオケボックスの普及で彼らの世代にとってカラオケは、日常的なコミュニケーションの手段である。カラオケ嫌いで自分から壁を作ることは、できれば避けたかった。

 そこで私が考えたのは、「1人でカラオケボックスに行って練習する」という方法である。大学近くのカラオケボックスの会員になって、春休み中から何度か出かけた。学生街とはいえ、昼はカラオケの客は少なく、広い個室で思う存分練習ができた。

 わが青春のフォークソングは妙に手垢がつき過ぎて歌う気にならず、昔聴いていいと思った日本のポップスを中心に、同じ曲を何度も歌ってみた。声を出す練習だから、初めはマイクを使わずに地声で歌ってみる。音が外れてもかまわない。くり返しやっていると、次第に音程が外れず歌えるようになるから不思議だ。歌えるとまた楽しくて、1人でも1時間2時間はあっという間に過ぎてしまう。

 2、3回通ったころ、研究室の歓迎会があった。案の定、二次会はカラオケにくり出した。若い講師や院生に混じって歌い、生まれて初めて、カラオケの会を楽しいと思った。

 一度楽しさを覚えると、あとは病みつきになる。歌の巧拙はさておき、声を出せば気持ちがいいから、誘いを断るどころか、自分から率先して人をカラオケに誘うようになった。

 人が歌っているのを聴いていいと思った曲は、歌手と題名を憶えておいて、レンタルCDを借りて聴く。くり返し聴いては歌ってみて、何度も試行錯誤しているうちに、自然に乗れるようになってくる。歌というものは、自分が歌うつもりで聴いてみると、それまで意識しなかった、細部の微妙な節回しや歌詞の意味にも気がつく。それがまたおもしろい。

 一度覚えた曲は、くり返し歌っているとやがて飽きてきて、また新しい曲を憶えたくなる。飽きるまで歌い込んだ曲は、しばらく歌わなくても、いつでもまたそつなく歌える持ち歌になる。そうして、昔の曲から最近の曲までずいぶんとレパートリーが増えた。

 カラオケ好きの同僚と出かけて、2人で3時間以上歌っても、一向にネタは尽きない。周りには、特定の好きな歌手の曲を中心に歌う人が多いが、私は曲で選ぶので、結果としていろいろな歌手の曲を幅広く歌っている。

 何でもっと早くこの楽しみに気づかなかったかと思うほどであるが、やはり件のごとく、何ごとも機の熟す時があり、あとから苦労して見つけた楽しみはまた、格別なのである。

2001.12.

閲覧数:0回0件のコメント
bottom of page