心の母校に帰る(全日制への異動)
25歳で高校教員になってから18年間、定時制ばかり3つの高校を経験してきたが、この4月の異動で、初めての全日制高校勤務となった。
異動先のT高校は、学力レベルで言えば中の上、しかも、まじめでおとなしい生徒が多い。授業は出るもの、教師の話は聞くものという姿勢ができている。当たり前かもしれないが、その当たり前のことが当たり前でない世界に長年いたので、そのことがうれしくてならず、当たり前のことに日々感謝して、思いっきり授業をやっている。
そんなふうで、新しい環境に飛びこむ不安も、3年前にK高校に異動したときほどに私を悩ますものではなくて済んだ。
T高校は、JR線I駅から地下鉄で2駅、T区、I区、N区が境を接するところにある。実は、そのあたりは、私が生まれ育った故郷であり、生徒の中には、小中学校の後輩もいる。出身高校の都立I高校も、歩いて十分足らずの至近にあり、T高校とは、昔から姉妹高のように親しい。
街を久々に歩いてみると、大きく変わったところもあるが、そこかしこに昔の面影を見つけてハッとし、心は時をさかのぼっていく。
思い浮かぶのは、中学、高校時代の自分の姿である。ともすると膨れ上がり過ぎる自意識をもてあまして、よく一人で散歩をした。とくに、学校が建ち並ぶT高校の周辺は、休日や早朝には人通りが少なく、あてもなく歩きながら、自分と向き合う時間を持つには、格好の場所だった。思えば、小説を書き始めたのも、自律訓練法と出会ったのも、その時期であった。
実際に高校生活を送った母校よりも、T高校と言えば、青春の悩みと憧れが、より純粋で透明な記憶としてよみがえる。
そのせいか、制服を着て教室を埋める40名の生徒たちの中に、かつての自分と同種のものを見てしまう。だから、ありのままの自分を出して、自分はこう生きてきたよと語りたくなる。ときには、恋愛の話さえも。
定時制の生徒たちを私は大好きだが、高校時代の自分とは重ならない。かつての自分とは異なる経験をし、異なる青春を生きている。その意味で尊敬し、彼らのために自分ができることを精いっぱいにやってきた。でも、授業の中でこれほどまで自分をさらけ出すことはなかったなと、今にして思う。
そうして夢中で授業をやっているうちに、いつしか1学期も半ばを過ぎた。中間テストで書いてもらった生徒の感想を読むと、自分のことをよく語る、雑談のおもしろい先生として好感を持って受けとめられていることは確かなようだ。2年生の古典では、身近な例でよく理解でき、古典が嫌いでなくなったとの感想が多い。しかし、3年生の現代文になると、教材内容の問題もあって、「初めはどんなおもしろい授業になるかと楽しみだったが、教科内容に入ったら期待はずれだった」と、辛辣な批評もある。
なるほど、生徒たちは、授業中静かにしているというだけのしつけはできている。しかし、その陰には、授業内容が魅力的であるかどうか、シビアに見分ける眼が光っている。
正直なところ、少人数の定時制で長年個人指導的な授業をしてきた私の講義技術は、基本的なところで未熟さを否めない。声は通らないし、板書は未整理で字も下手だ。作品の背景を教養豊かに語るだけの知識もない。
自信があるのは、生徒一人一人が感じ、考えることを出発点に、授業を作り上げていく、定時制で実践しつづけてきたその姿勢だけだ。今はまだ不充分だが、その目標を40人の授業の中で求めつづけたい。そのために工夫し努力することは、やはり私の生きがいの大きな部分を占めている。
授業技術にしても、授業前の発声練習(→参照)を朝の日課として続けるうちに、自然と声が通るようになってきた。
倍増した日々の仕事量の中で、泥縄式の授業計画にならざるを得ないときもあるが、確かな手応えを感じながら、試行錯誤を楽しむ毎日を送っている。