真のパートナーシップを求めて(40代の恋の顛末②)
更新日:2020年9月27日
彼女は山田詠美の小説が好きだと言う。恋する人が好きな作家はとりあえず読んでみる。これは、恋愛のABCである。
というわけで、『ジェシーの背骨』という薄い文庫本を見つけて、通勤電車で読んだ。
11歳の息子ジェシーと父リックの父子家庭に、父の新しい恋人ココが来て、頑なに反抗的な息子と泥沼の葛藤を繰り広げる。
初めは何気なく読み始めたが、読み進むうち、他人事に思えなくなった。父子家庭の父親である私自身、いつこういう修羅場に立たされたとしても不思議はない。
後半、父親リックは、「なぜココに打ち解けないんだ」と息子を諭しながら、「おまえのいちばん大切な親父が愛する女もいなくてさびしがっているのを平気で見ていられるかい。俺にはココが必要なんだ」とありのままの気持ちで話す。それを読んだ私は、自分の内に隠していた本音を、根こそぎえぐり出されてしまった気がした。
私は、父であると同時に、やはり1人の男に違いないのだった。そのことに、私は、今、否応なく直面させられている。生きていくために、私は、愛する女性を必要とする。
遠からぬうち、息子は成長して思春期を迎える。そうすれば、両親の離婚の理由を問うたり、父親の女性関係を批判的に見たりするかもしれない。そんなとき、自分がどんな女性をどんなふうに真剣に愛したか、愛そうとしたか、恥じることなく語れるようでありたい。たとえ、すぐには理解してもらえないとしても。
『恋愛の達人』(ヴォイス刊)の中で三国ますみは、深く理解し合い、互いの目標のために協力し合っていくパートナーシップを、恋愛の究極の目標として描き出す。それは困難な道ではあるけれども、互いの成長と共に築いていく関係である。ありうるものなら、私は、それを探し求め、創り上げる努力をしてみたい。
三国はまた、人は「魂の成長」を続けて行く中で必然的に、出会うべき相手に出会い、結ばれるべき相手と結ばれると言う。
私の生涯のパートナーとなるべき女性は誰なのか。それは、今恋する彼女かもしれないし、別れた妻かもしれない。あるいは、これから新たに出会う人かもしれない。その答えは、「魂の成長」を目指して、今を前向きに生きていく中で、見えてくるのだろう。
むろんそれは、無責任な成りゆき任せを意味しない。「愛は決断である」と言ったのは、E・フロムだったと思うが、三国も、「この人を愛し抜こう」と「コミットメント」することによって、真の成長の力は出てくると説く。
だが、その見極めは容易ではない。離婚後も妻を愛しつづけようと「コミットメント」したことを、私は忘れてはいない。しかし、心は揺れていく。自分の気持ちにうそはつけない。
迷い、悩み、失敗しながら、それでも私は、誠実に生きたいと願う。息子の前に、恥ずかしくない生き方をするためにも。
2000.10.