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執筆者の写真教育エジソン

家庭訪問の醍醐味


 話は前後するが、私の担任クラスの新4年進級者は、わずか10名(男5、女5)であった。が、幸いなことに、ふつうは珍しい4学年からの転入者が4名(男3、女1)もあって、にわかに新鮮な風が吹き始めた。

 初めて担任する生徒については、早いうちに1度は家庭訪問することにしている。というわけで、5月の中旬になって、4人の保護者に連絡をとり、日に1軒ずつ訪問した。学校の自転車を使ったり、通勤の前後に電車をちょっと乗り換えたりして立ち寄る。

 板橋区、豊島区、北区を中心とした本校の通学区域は、私の生まれ育った土地である。よく見知った街は、変貌の中にも昔の面影を見つけてうれしくなる。初めての街も、似たような土地柄なので、不思議と懐かしさをおぼえる。もともと、地図を頼りに見知らぬ街をたずね歩くこと自体が好きなのだが、今回の楽しみはまた格別である。

 4軒とも地元の家庭なので、出身学校が近かったり、私とまったく同学年のご夫婦がいたりと、何かしらの共通点があって、つい話が弾んで長居をしてしまう。4軒のうち3軒でご両親いっしょにお話しできたのも、たいへんありがたかった。それだけで、互いの心の距離がぐっと縮まる。その生徒の姿が、育ってきた家庭の雰囲気を背景にして、ずっと奥行きを増して、生き生きと見えてくる。これが、家庭訪問の醍醐味なのである。

 家庭訪問を始めたのは、心機一転の思いでO高校に転任早々、1年の担任を持ったときからである。生徒名簿を作っていて、住所が意外と近いことに気づき、学校の自転車で回れるじゃないかと思ったのがきっかけである。始めてみると、生徒一人ひとりについて、いろんな発見がある。日ごろ反抗的な男子がお茶を持ってきて、「先生、ゆっくりしてってよ」と人なつっこく笑う。遅刻の多い生徒の家が、坂の多いところにあって、毎日ここを登り降りして通学するのはたいへんだよな、とわかったりする。これはもう、やめられない。

 高校ではふつう、家庭訪問はしない。確かに少人数の定時制だからできることかもしれないが、経験から言って、家庭訪問ひとつで、担任の仕事がはるかにやりやすくなるのだから、やらない方が損である。家庭訪問をしたあとは、自分でも、その生徒を見る目がやさしくなるのがわかる。家での何気ない話を聞いても、その様子が生き生きと想像できる。第一、家庭に電話1本入れるにも、親の顔が思い浮かばないと、私はどうも落ち着かない。訪問の記憶があれば、親の話す表情と室内の様子までが浮かび、自分のことばが相手の心にどう届いているかを推し量れる。このことは、何か問題が起きたときには、決定的である。

 この新学期は、仕事の段取りが後手後手に回り、あせりの多い毎日だったが、わくわくしながら家庭訪問を重ねるうちに、本来のペースが戻ってきた気がする。そんな効能もある。

2000.7.

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