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執筆者の写真教育エジソン

人を笑わせる技術


 先日、新聞で「教師のためのお笑い実践セミナー」が開かれるという記事を見た。「教室にお笑いを! キレる子どもはお笑いで救える!」と副題にある。若手お笑い芸人を育てている「お笑い評論家」が、教師のためにお笑いの指導をしてくれると言う。「これは!」と思い、さっそく参加を申し込んだ。

 私は、いつも冗談を言っているようなひょうきんタイプの教師ではないが、授業では生徒を笑わせる必要があると、いつも思っている。生徒は、教室の中でリラックスしてありのままの自分であるときにだけ、自ら学ぶ意欲を持ち、学習が成果を上げる、というのが私の基本的信念である。そのために私はいつも、明るくオープンで、あたたかい雰囲気を心がける。それでも、なかなか場の緊張がほぐれないとき、あるいは、学習に注意が向いていかないとき、うまい笑いの爆弾を落とすことができれば、一気にリラックスがひろがり、生徒は期待と集中のまなざしになる。

 しかし、いざ笑わせようと思うと、それはあんがい難しい。小中学時代の恥ずかしいあだ名を暴露する十八番の自己紹介をはじめ、いくつか、生徒を笑わすネタはあるが、持ち札は多くない。私がむしろ得意とするのは、生徒にいろいろな発言をさせ、それを受けとめ、ときにはつっこみやフォローを入れて笑わせたりしながら、さらに発言を引き出していくことである。うまく盛り上がっていくと、生徒たちの中に隠れていた乗りが出てきて、誰かの言った一言に、どっと笑いが起こる。

 生徒のスピーチや話し合いで構成する「話し方」の授業で、長年そういう実践をしてきたが、「生徒を笑わせる技術」という意味では、自分のやり方に満足しているわけではない。いつでもどこでもしゃれた小話で生徒をどっとわかせ、手中に引き込む。そんな話術への、漠然としたあこがれが心の片隅にある。だから、「お笑い実践セミナー」の名前にひかれたのだと思う。

 セミナーが開かれたのは、授業のある土曜の午後。多くの教師は仕事を終えてから来るのだろうが、夜が授業の私は、このために休暇を取った。都内のあるホールのリハーサル室。参加者は22人ほどだが、話題性のある会なので、複数のテレビ局が取材に来ている。私もさっそくインタビューを受けた。

 登場した講師S氏は30代、大柄で眉ともみ上げが異様に太く、マンガから抜け出てきたような印象を受ける。さっそくドリフ風の「オイッス」というあいさつで笑いを取るが、その後の話は、いたってまじめである。

 冒頭から、「笑いは哲学である」と来た。たとえば、植木等の「わかっちゃいるけどやめられない」は、人間の本質を深く突いている。お笑いは、誰もがあたり前と思っていることに、「どうして?」と疑問を持つことから生まれる。そこに、ものごとを深く見つめるヒントがある。あるいは、つらい時でも、お笑いでそんな自分を突き放し、相対化できる。そこに、余裕が生まれる。また、「お笑いは、最高のコミュニケーション技術」だとも。笑わせる芸は、場の空気を読み、適切なもの言いを考えて、流れを作り上げていく、優れた社会的技術である。そこで彼は、「お笑い」を自己表現のための芸術科目として設けることを提言する。新指導要領では、学校独自の教科を設置することが可能になるから、と。

 そんな前置きから、講義は実践編に移る。芸人を目ざす小中高生の男の子女の子が八人ほど登場。S氏の質問に、次々と思ったことを自由に答えていく。これは、かつてジャニーズ事務所の社長が、タレントの卵たちを鍛えるためにくり返し行なっていた訓練だという。たとえば、「この世でいちばん好きなものは?」、「オリンピックに入れたい競技は?」…。ためらわず発言する勇気と、反射的におもしろいことを言う神経が養われる。こうしたゲームを教室で日常的にくり返せば、生徒も発言することのおもしろさを知っていくのではないかと、S氏は提案する。

 次は、会場の教師たちに質問が飛ぶ。たとえば、「宝くじで1億円当たったら、まず何を買う?」。出てくる答は、「家」、「旅行」、「車」、「パソコン」……。私は、「1億円を入れるバッグ」。「裸じゃ持ち歩けないから」と。あまりにみんなの発言が月並みなので、茶々を入れたくなったのである。

 それから、いろいろなお笑いゲームをまず子どもたちに見本でやらせ、次に先生たちも何人か前へ出て……という手順で、次第にみんなを巻き込んでいく。しかし、どうも教師たちの乗りは今一つである。中で1人、中学の女の先生が天然ボケでウケをとっていたが、ほかはみな一様に及び腰で、発言もおもしろみがない。いきおい、私ごときが目立ってしまう。講師も声を掛けやすいので、実習のたびに、前に呼ばれる。日常生活のこっけいな発見を言う「あるあるネタ」を出し合い、どちらがおもしろいかを競う対戦では、天然ボケの女先生に負けるまで、2人勝ち抜いた。

 せっかく参加するからには積極的にやらねば損だと思い、やるからにはすすんで楽しもうという気持ちは人一倍ある。くわえて、ああいう場に強いのは、セルフ・コントロールの習慣も、ものを言っている。おもしろいことを言わねばと力み、焦っても、頭の中は真っ白になってしまう。フーッと息を吐いて心の中で「ウデガオモイ」と唱え、自分の内にある膨大な記憶を信じ、任せる気分になれば、何かしら、ポッと浮かんでくる。

 セミナーは正味二時間足らずのものだったが、私は充分にたんのうし、得るところが多かった。

 S氏は、「生徒をシャレで笑わせてやろうとするのは、上からの押しつけだ。お笑い番組でも、大人数トークで参加者のおもしろい発言を引き出し、盛り上げていくタイプの芸人が受けている。それが時代の流れだ」と言う。ようするに、生徒みんなが個性を発揮しておもしろいことが言えるように、うまく場の流れを読み、うまいパスを渡してやる、そういう存在に教師がなるべきだ、おもしろい教師というのは、実は生徒のおもしろさを引き出す教師なのだ、ということである。

 何のことはない。それはまさに、私が今まで目指してきた方向に他ならなかった。それに飽き足らず、一方的に生徒を魅了する「話術」を期待したが、それは迷いであった。あだな期待はみごとに裏切られ、「今までのやり方でいいんだよ」と、S氏に強く励まされた気がする。

 しかも、そうした生徒たちとのやり取りの能力を伸ばすために、お笑いが役に立つ。それが最大の発見だった。お笑い番組を見れば、芸人のつっこみの入れ方、話の回し方などを学ぶことができるし、自分で「あるあるネタ」を探せば、日常生活の観察力や深い見方が身につき、見つけたネタをひねってお笑いにしようと考えることで、人の心をつかむもの言いができるようになる。そうした努力を少しずつ始めてみると、実に楽しい。これなら、生徒を笑わせてやろうと力むのでなく、自然に続けられそうである。


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