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執筆者の写真教育エジソン

ときめく思い(40代の恋の顛末①)

更新日:2020年9月27日


 妻と離婚して、3年が経った。

 離婚後しばらく悩み抜いて出した結論の通り、妻とは数ヶ月に1度、子どもを連れて会い、ときには3人で旅行もする。6歳になった息子は、物心ついたころからそうなっていることを、事実として自然に受けとめている。

 しかし、男と女としての私と妻の関係は、この3年の間、さまざまに変化してきた。

 ある時期は、私に話し相手を求めて、毎日のように電話をよこすが、他に心を許せる相手があれば、ふっつりと電話も鳴らない。

 私の方は、Eメールや電話で気軽におしゃべりをし、ときどきいっしょに飲みに行ったりする女友達は3、4人いる。しかし、彼女たちとの距離は、みな同じにように見える。いずれも30代の既婚者または離婚経験者だが、いっしょにいても、およそ危ういムードにはならない。それぞれに個性的な彼女たちの話を聞くのは楽しく、私はもっぱら聞き役に回る。私と話すと、彼女たちはとても幸せそうだし、私も満足できることが多い。

 実を言えば、そのうちのただ1人にだけは、私はずっと特別な思いを抱いていた。しかし、いくつかの理由から、私は、彼女との関係をもう一歩先へ進めることをしなかった。そんな状態で、もう1年半が過ぎていた。私の中には、先へ進みたいと強く願う気持ちと、今のままがお互い幸せだと満足する気持ちとが相半ばしていた。実際、彼女は今のままで充分満ち足りているように見えた。けっきょく私は、進む運命ならそうなるし、そうならないものならそれもよし、と成りゆきに任せていたというのが、真実に近いかもしれない。

 しかし、2学期になって早々、彼女から来たEメールの中に、「私、失恋するかも知れない……」と、胸の苦しみを吐露することばが唐突に入っていた。私は一瞬、目を疑い、自分に対する思いの告白かと深読みを試みたが、そうでないことは認めざるを得なかった。

 私は、長い間進むことをためらっていた自分の弱腰を激しく後悔した。彼女の胸を締めつけているのは、私ではない、他の誰かだ。その想像は、私の心にギリギリと爪を立てた。あまりのつらさに私は度を失い、私の気持ちに気づかずにいた彼女を責めるようなメールを書き送った。

 だが、彼女からの返信はない。してしまった行為を恥じる気持ちが、激しく私を苛んだ。そんな形でしか彼女への思いを伝えられなかった自分が情けなく、くやしくて、自己嫌悪と嫉妬に数日間、悶え苦しんだ。

 しかし、まもなく都合をつけて会ってくれた彼女は、私の身勝手な仕打ちを責めることもなく、やさしく、誠実だった。私たちは、互いの気持ちを率直に語り合い、今までのようないい関係を続けることが互いの望みなのだと確かめ合うことができた。

 そういうわけで、2人の関係はまたふりだしに戻ったのだが、私の気持ちの方は、これをきっかけにブレーキが外れてしまった。

 ふと気づくと、彼女のことを考えている。彼女のことを思うだけで、うきうきして笑いたくなったり、切なく胸が締めつけられたりする。あれこれ話したくて、毎晩でもメールを書きたくなる。たまに会う約束をすると、うれしくてもう朝から地に足がつかない。ハートはすっかり、「恋愛モード」に入ってしまった。

 考えてみれば、私は、結婚以来、女性を見てすてきだと思い、心動かされることは数知れずあっても、妻以外の女性に恋を感じたことは一度もなかった。何とこれは、十数年ぶりに味わう感情なのである。

 やはり彼女には、長年交際している恋人がいて、私の片思いは宿命づけられている。それはじゅうじゅう承知の上で、私はこの思いを抑えられない。いや、抑えたくない。今この恋は、私の生きるエネルギーそのものだから。

 彼女の明るい笑顔を心に抱くだけで、自分も明るく元気になれる。彼女の働く姿や健気に生きる毎日を想像すると、自分もまたがんばる勇気が湧いてくる。

 いつかは、あきらめねばならない。それはわかっている。でも、この恋が私をどこへ連れて行くのか、今はまだ、身を任せていたいのだ。

2000.10.

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